捨てたい気持ち
親戚や祖父を思い出すと、嫌な気持ちが湧き上がります。
ですが、沸き上がってくる気持ちをどうにかするのは無理です(感情の抑圧)。
捨てたいのは…
人間関係に嫌気が差し、「人間関係を捨てたい」と思いだし、
捨てたい人の名前を書き並べました。
「捨てたい」という表現は悪いですが、「捨てたい=忘れて楽しく生きたい」ということです。
そもそも、「捨てたい」とは、彼らのことが悪いと、非難している訳ではありません。ただ、倫理観が違っただけですから。私の倫理観が万人に理解されるとは思いませんし…
それに、実際には捨てることも、忘れることもできないので(これからも少しの交流はあるので)、
(まあ、これからは、会う頻度は確実に減るのですが…)
せめて、会っていないときは、忘れるくらい、「そんな人いたっけ?」ってなるくらい、考えないようにしたいです。
忘れるためには…
彼らを忘れるには、
彼らに対する悲しみや苦しみ、恨みや憎しみ、妬みや僻み、といったマイナスな感情を、感じなくするには、
自分が変わればいいのです。
- 妬みや僻みを忘れるくらい自分が幸せになり、
- 恨みや憎しみを忘れるくらい幸せになり、
- 悲しみや苦しみを忘れるくらい幸せになり、
彼らのことがどうでも良くなるくらい、幸せになれば良いのです。
今以上の幸せ
しかし、それは難しいですね、
今までも幸せでしたが、(カワイイ子どもに安心できる家…これ以上望むことはありません。)、
今以上に幸せを求めるとは…(笑)
しかし、
私が負の感情を抱いていることが、彼らに囚われていることが、
もっと幸せになる余地があるのだと教えてくれています。
結局、捨てたいのは…
じゃあ、彼らがどうでも良くなるくらい幸せになるには、何をすべきなのかと、
上手くいってないことを書き出し、変えるべき欠点を書き出し、
そして、
私が《他人に気をとられ、自分の人生に集中できていない》ことに気づき、(=現実逃避)
やっぱり私が幸せを感じきれないのは、他人ではなく自分に原因があるのだと思いました。
知らないうちに現実逃避
他人の嫌なところを考えるのは楽ですから、
他人のことばかり考えている私は、自分と向き合わずに逃げていたのですね。
他人を捨てようと他人のことばかり考えるより、嫌いな自分を捨てようと努力する方が、はるかに幸せに近づけるんだと、
気づくと、幸せまでの道のりは近いような気がしました。
が!
よくよく考えると、自分を変えることは大変ですから、
「あ〜、幸せになるのって、大変やん!」
と、一瞬絶望し、幸せまでの道のりが、遠く険しく感じました。
とにかく、
彼らをへの気持ちを捨てて自由になるには、自分が変わらなくてはいけないのです。
なので、変えようと思います。
→次回へ続く
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